くず鉄作りの海 - アニメネウロ感想ログ(第7話〜)

2007/11/18


アニメ 『魔人探偵脳噛ネウロ』感想 第七話

今回は『ネウロ』のキーキャラクターとなるX初登場の話です。
先に良かった点をあげておきます。
Xの変身の演出は迫力があって良かったです。声もイメージ通りでいい仕事をしています。

もうこれはいつものこととあきらめるしかないのか、今回の話も無理矢理一話にまとめられた影響で原作の名シーンがいくつもカットされています。筒井の「ぇはん」やXが弥子に化けてネウロを殺そうとしたシーン、アイの登場などはごっそりカットされていました。また、Xの事前情報も大幅に削られていたので、原作未読者にはあのXの変身は唐突すぎるように感じられたんじゃないかと思います。
ただ今回は、そうした尺の都合によるもの以外でも気になる変更点がいくつかありました。

・堀口明の豹変(コピーキャットということで猫に変身)
・Xが化けていたのが堀口のおばあちゃんではなく筒井刑事だった
(本物の堀口のおばあちゃんはそのまま死亡)

特にそれほど原作『ネウロ』に思い入れのない人にとってはどうでもいい変更点だと思います。明の豹変については原作での豹変がなかったからサービスとして追加したんだろう、Xが化けていたのが筒井刑事に代わったのも尺の都合であまり余計にキャラを登場させられなかったから筒井に変えたんだろう、とくらいにしか思わないことでしょう。実際に今回の脚本を書いたスタッフにとってはそうだったのかもしれません。

が、しかし、原作との比較話になってしまうのですが(アニメ版はアニメ版として別物として見るべきとは思うのであまりしたくはないのですけど)、この二点は痛い変更でした。
そもそも原作では明は鳥肌が出ただけで豹変らしいことはしていませんでした。それはただ描写をはしょったわけではなく、Xの模倣犯罪をしているだけの明は他のブッ飛んだポリシーを持った犯罪者たちとは違った、「芯のない」犯罪者だったからです。さらには、その直後に登場する真に恐ろしい犯罪者であるXと一線を越えることのできていなかった明とを対比させて、Xの恐ろしさをより顕著に表すためでもあったのです。それなのにアニメ版で堀口を豹変させるなんて演出ははっきり言って蛇足もいいところで、原作の意図を完全にブチ壊しにしています。
Xが化けていたのが筒井刑事だったという変更については、尺の都合から登場人物を削らないといけなかったという点を考慮することはできますが、それならなんで最初から二話構成にしなかったのかと思うところ(他の話でも同じことが言えますが)。ちなみに、原作でのXが堀口のおばあちゃんに化けていたことによる効果は、死んだはずの人間が動き出す恐怖、当たり前の日常生活の中にでもXは潜むことができるというインパクト、堀口明を人一人も殺せなかった小物の犯罪者にまで下落させる意図があります。



■なぜアニメ『ネウロ』はダメなのか

ネットのあちこちでの評判を見ると、原作ファン、原作未読の新規視聴者ともにイマイチです。
かといって徹底的にダメなわけではなく、作画・音楽・声優とも一定以上のクオリティは保っていますし、部分的に見ればオリジナルでもいい演出、仕事をしているところもあります。
アニメ『ネウロ』の悪い点としてよくあげられるのが、

・原作『ネウロ』にあった毒がなくなっている
・原作の時系列をいじりすぎて、原作未読者には説明不足な点が多い
・話を無理矢理一話に詰め込んではしょりすぎている
・オリジナルエピソードの出来の悪さ
・徹底的に原作とは別物の話で突き進むわけでもなく、かといって忠実に再現するわけでもない中途半端な改編

こんなところでしょうか。
脚本や構成等を無視した、全体的なクオリティで言えば、アニメ『ネウロ』のスタッフはプロとして充分な仕事をしていると思います。しかし、「作品」としてではなく「仕事」で作っているだけという印象が強く感じられます。上の不満の多くは原作ファン視点にとって『ネウロ』らしさの再現が不十分と感じるところによるものが多いですが、だからといってアニメスタッフが原作『ネウロ』をろくろく読まずに作っているとも思いません。しかし、原作を全部読みそろえたとしても、その独特の『ネウロ』らしさ、作品の根底に流れている原作者の意図というのはある程度時間をかけて積み重なっていっていかないと理解できるようにはならないものです。『ネウロ』の映像化を、ただの「仕事」として請け負ったスタッフにとってはそこまで理解する時間はなかったでしょう。
その結果、「オリジナル要素」、「わかりやすさの重視」という名目で、原作に踏み込んだ『ネウロ』らしさの再現ではなく、自分たちの作りやすいかたちに落ち着けていったのかもしれません。
『ネウロ』のテーマ曲も、よくニコニコなどにアップされるMADの『ネウロ』のイメージでは「アリプロ」などがよく使われていて、そうしたちょっと独特の狂気的な曲の方が原作の『ネウロ』のイメージには合います。しかしアニメ『ネウロ』のOPテーマ曲には、そこを作品のイメージよりも一般受けしやすいアーティストをセレクトしてきています。可もなく不可もなくな無難な落とし込みをしたわけです。


2007/11/24


アニメ 『魔人探偵脳噛ネウロ』感想 第八話

「な…なんじゃこりゃあ…!」(視聴者の感想)

今週はアニメオリジナルエピソード。
刑事側に速水と杉田という二人のアニメオリジナルキャラも登場。速水の方は等々力っぽい外見だったので、最初は等々力の先出しかと勘違いしそうになりました。しかし実際、もし速水をアニメ版のみのレギュラー要員として登場させるつもりならキャラデザインが完全に等々力と被ってしまうので、単なる使い捨ての可能性が高いです。これで速水がレギュラー要員として今後も登場するようだったら、キャラデザ担当はどんだけ無能なのかという話になってしまいます。

冒頭はXと出会った恐怖が残っていた弥子の夢から。家族ですき焼きを食べようとしていたらそこにいたのはX。目の間にいたのがXなら、弥子の両親はどこに行ったのか…
そしてすき焼きの鍋の蓋を空けようとするX。そこから出て来たのは…
これはもしこの夢が覚めることなく続いていたら、『ヒストリエ』のハルパゴス将軍のごとく弥子はその場はありがたく肉を食べて見せて、数年の間復讐のために手を回し続け、自分が窮地に陥れたXが助けを求めてきたところでと「ば〜〜〜っかじゃねぇの!?」と一蹴するオチだったのでしょう。て、どんだけ長編の夢を見てるんだ。

ストーリーは、「あの二話、三話に比べればマシになった」というところです。
警官を銃撃して拳銃を奪う犯罪者「コップキラー」。それを追う速水と杉田の二人の刑事。犯人には初め、前科持ちの拳銃マニアの男が疑われますが、実は刑事である杉田が真犯人であり、拳銃マニアの男に罪をなすりつけようとした黒幕でした。犯行の動機は「刑事ドラマの憧れの役のようにドテッ腹に拳銃を撃ち込まれて殉職したかった」というもの。『太陽にほえろ!』のパロディネタがやりたかったんだな、という、スタッフ(監督、脚本家)がやりたかったことはよく分かった回でした。
犯行動機のイカレ具合はいいのですが、本来の『ネウロ』の、「食の千年帝国を作る邪魔をしようとしたから」、「でかい親の七光りさえ手に入ればなんでもできるから」、というスケールのでかさや、「幸せそうに暮らしている人間の表情を加工したかった」、「家具を軽く見る奴等に家具の力で破滅を与えてやった」、という狂気性などには欠けているのは、この辺は発想のセンスによるところも大きいので仕方のないところでしょうか。

今回の内容で、これだけはダメだろ、と思ったところが一つあったのですが、それは、杉田がスケープゴートの男を「催眠術」で操っていたというところ。「足紋なんて素人に解析できるわけない」という突っ込みはしていたにも関わらず、普通の一刑事が催眠術で人を操れたというのはありなのかと疑問に思います。そして何より、かたちだけとはいえ「推理物」である作品のトリックに催眠術を使ってしまうのは創作者のポリシーとしてどうなのかという疑問も持ってしまいます。トリックで催眠術がOKになってしまったら、それこそどんな不可能犯罪だって成立し得てしまいます。

「何やったって許される最強の特権。それこそが、催眠術さ!!」
「催眠術さえあれば!!犯行を別の人間になすりつけることもできる!!」
「何でもできる!!何にでもなれる!!」
「例えば催眠術を使えば…こんな事も可能かもしれない!!」

催眠術

「催眠術さえあれば!!人を空に浮かすことだってできる!!」
「催眠術さえあれば!!人が頭に思い浮かべた映像を視覚化することだってできる!!」
「催眠術さえあれば!!死体を思い通りに動かすことだってできる!!」

一つフォローをしておくと、ゆでたまご先生は催眠術をサイコキネシスの一種か何かと勘違いしていたんだと思います。


2007/12/10


アニメ 『魔人探偵脳噛ネウロ』感想 第九話、第十話

原作『ネウロ』にとっても重要なキーポイントになるアヤ・エイジア編。アニメ版においても、事前に弥子の成長に焦点を当てると言っていただけにこのシリーズだけは重要な回と見ていたのでしょう、ヒステリア編等にあった強引な内容カットもせず原作の内容に近いかたちでストーリーを追っていました。
わずかながらも作画崩れが出て来たことに少し不安はありましたが、この二話については概ねは良かったと思います。


■第九話「締【しめ】」(アヤ・エイジアの依頼〜糸田逮捕まで)

弥子が扮装したアヤの前に現れた糸田。放送規制がかけられることもなく、原作通りのイカれた姿でした。さらには失禁というアニメオリジナル特典までついていました。首締めに限らず意識を失った時に失禁してしまうのはよくあることみたいですが、よくよく考えるとこいつって意識失いかけながらよく行動できたよなあ。石垣一人じゃ押さえきれなかったし。意識を失うというよりは虎眼先生のように曖昧な状態になってるのかもしれません。周囲への被害度で言えば、虎眼先生もいい勝負しています。『シグルイ』本編で直接的な描写はなかったけど、ある日突然門下生が先生のせいで神隠しに会うことも日常茶飯事だったみたいですし。

テレビでアヤの歌に聴き入る弥子と吾代。人の脳を揺らす歌という設定でしたから、これを実際に音の形で再現しないといけないアニメ版ではどうするのだろうと気になっていたところでしたが……
どう見てもED曲の使い回しです。本当にありがとうございました。
……うん、まあ、アヤ・エイジアの歌パートを加賀美セイラが担当することは早い段階で告知されていたし、ED曲のタイトルが「孤独のヒカリ」なんて付けられていたから、予想していなくはなかったんですが。作中専用歌を用意するくらいの気合いを見たかったなという思いもあったり。それと「孤独のヒカリ」自体はいいんですけど、個人的には作中のアヤの歌のイメージとはズレるんですよねえ。

大泉ひばりのキャラデザインが変更された理由はよく分かりませんが、原作のイメージだと若すぎると思ったんでしょうか。


■第十話「一【ひとりきり】」(弥子の覚醒〜アヤの逮捕まで)

「ゾウリムシ」、「ワラジムシ」と言われてすぐに形を思い浮かべることのできる弥子は凄い気がする。

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
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                        | ⊂( 。Д。)つ ←吾代
                        |    V V 

アヤのライブチケットを自慢する吾代に対し、チケットを窓から投げ捨てたうえについでに吾代も投げ捨てたネウロ。その直後、弥子の首を360度捻転させるネウロ。この辺、当初のアニメスタッフはやたらとネウロのDV行為には気を使っていたくせに、ネウロの暴力度がパワーアップしています。というか、吾代、これ死ぬぞ。弥子が首を360度回されても死なないくらいに生命力が強いのは原作通りなんで別にいいんですが。

ネウロがアヤの殺人トリックを解き、弥子がアヤの犯行動機を解いたこの事件。原作ではこの事件をきっかけに弥子は犯人の心理にも興味を持つようになりますし、また人を惹きつける弥子の才能も開花されていくわけです。ただそれでも、ライスなどのように心情的に同情や共感しがたい犯罪者に対してはきっぱりと冷たい態度を取っていました。そこが康一くんのように本人の意志とは関係無しに悪人に好かれる困った体質にはならずに済む違いですが。
至郎田や百舌のような犯罪者に好かれるようになったら、最高級のおいしい料理をご馳走してくれるけどいつ薬物投入された怪しい料理を食わされるか分からない、一流のカリスマ美容師のヘアカットを受けられるけどいつ自分の首ごとカットされるか分からない、そんなスリリングな毎日なのでしょうね。